オカルトサイエンス
第7節オカルトサイエンス
第1項
「カタカムナ文献」
それは、太古から密かに連綿と伝えられてきたと一部の人々に信じられてい
る謎の古文書である。昭和25年ころ、平十字という人物が、兵庫県六甲山
系の山中でと名乗る人物から筆写を許されたものだという。楢崎によれば、
平十字はカタカムナ神社の宮司と称し、文献は「カタカムナの御神体」として
固く秘匿されてきたものであった。そして楢崎はこの文献を解読した結果、こ
れは太古の日本列島―楢崎皐月およびその後継者の宇野多美恵氏によれ
ば10万〜数万年以前の日本列島―に棲息していた人類が残した、失われ
た超古代科学の書であり、彼がその「上古代人の直感科学」を自ら復興し、
「相似象学」とよばれる秘教科学〓オカルト・サイエンスの奇妙な体系へと導
いたのである。太古から伝わったとされる点ではこの「カタカムナ文献」は「竹
内文献」「上津文文献」、あるいは「富士文献」等のいわゆる偽書の流れに属
するものと考えてよい。だが、太古の歴史を伝える史書ではなく、太古の〈科
学〉を伝えているというところに、カタカムナ文献の著しい特色がある。このよ
うな文献の歴史的伝来の可能性に関する考証をまったく無視するわけではな
いが、とりあえずその驚異的な内容に関する考証の方に重点がおかれるだ
ろう。いずれにせよ、これを捏造という一言でもって切って捨てることはいとも
たやすいことである。実際、平十字なる人物については楢崎しか知らないし、
カタカムナ神社などという神社にしても現実に存在したかどうかまったく不明
のままである。
第2項
樋口清之氏も調査した金鳥山
この金鳥山は、高級住宅街として知られる阪急沿線の芦屋と岡本のちょうど
中間あたりに位置する標高500メートルの低い山で、一見したところ、この幻
想小説じみたストーリーの舞台としては、はなはだふさわしくないようにも思
われる。しかし、山の中腹には 神社があり、平安時代に編纂された「延喜
式」の「神名帳」にも掲載されていることからすれば、いずれ由緒ある古社に
はちがいない。この神社の社殿をとりまいて、巨石を環状に配置した遺跡が
鎮座している。いわゆる「磐境」である。それは社殿などの形式が現われる以
前の、神道の原初的段階における祭祀形式とされており、戦前には現国学
院大学の教授、樋口清之氏も実際に調査にあたったことがある。また磐境の
周辺からは銅鉾が、境内や山中からは土器や住居跡が発掘されており、い
ずれも弥生時代のものとみられている。磐境については、単なる原始神道的
な遺跡というよりは、何らかのオカルト的パワーと密接な関係があるとする確
信が、一部のエキセントリックな郷土史家たちの間には根強あるようで、なか
なか意味深長であるとこじつけられなくもない。昭和24年の12月から翌25
年の3月にかけての64日間、楢崎皐月は助手の青年数名とともに、この金
鳥山中の狐塚とよばれる塚の近くに穴を掘ってこもっていたという。それは
「大地電気」の測定という研究目的のためであった。ある夜のこと、「お前た
ち、なんのためにやって来たんだ?泉に妙なものを仕掛けるから森の動物た
ちが水を飲めなくて困っているじゃないか。すぐに取り除け。それから狐は決
して撃つんじゃない。兎ならあるから、ホレくれてやる」と腰に下げたものを投
げ出して行ってしまった。「妙なもの」とは微動量検出のために取り付けた装
置である。楢崎は言われたとおりに装置を撤去した。つぎの夜、またも漁師は
現われた。今度はすこぶる上機嫌。「お前さんたちは感心だ。穴居しなければ
本当のことはわからんもんだよ」とほめた上、お礼にと古い巻き物を取り出し
て見せてくれたのである。それは江戸時代の和紙に筆写したとみられ、80個
の渦巻状に、丸と十字を基本とした図象が記されていた。
第3項
平十字と「カタカムナ文献」の出現
猟師は平十字と名乗り、父はカタカムナ神社の宮司であると告げた。巻き物
は父祖代々「カタカムナの神の御神体」として伝わったもので、「開けたら目
が潰れる」と言われ固く秘匿されてきたものであるとのことであった。もっとも
以前にもこの巻き物を見せたこともあったのか、平十字は、「今までに刀のツ
バや定紋の絵だろうと言った学者があったが、そんなものじゃないんだ」と厳
然として語ったという。楢崎が巻き物を開けると、たしかに刀のツバの絵と考
えてもおかしくない丸と十字からなる奇妙な図象が渦巻状にひとかたまりとな
っていくつも並べられていた。これを見たとたん、楢崎にはふと「八鏡文字」と
いう言葉がひらめいた。それは戦争中のことである。楢崎は旧満州のにい
て、製鉄の研究にたずさわっていた。ある日彼は、満人職工たちの信仰に敬
意を表し、吉林の北山にあった道院、娘々廟に詣でたのである。日本人とし
てはじめて寄進したことから、道士に招じられ一服の茶をすすめられることに
なった。そしてつぎのような驚くべき内容の老子経古伝をあかされた。「上古
代の日本の地に"アシヤ族"という、高度の文明をもつ種族が存在し、『八鏡
の文字』を創り、特殊の鉄をはじめ、さまざまの生活技法を開発していたこ
と、そして後代の哲学、医学(易の思想や、漢方等)は、その文化の流れに展
開したものである」いま目の前にしている巻き物に描かれた不思議な図象こ
そ、蘆有三道士の語った「八鏡文字」なのではないか、楢崎はこのようにピン
ときたのである。そして彼は、この図象の筆写を請うた。平十字は快諾した。
もっとも、書き写すと簡単に言っても、なにぶん山中の穴居生活である。充分
な準備などあろうはずがない。平十字がでんと腰を据えて「御神体」を監視し
ている傍らで、食器を入れておくミカン箱を机がわりにして、小さなローソクの
灯を頼りに、手持ちの大学ノートにわけもわからぬ「丸の絵」を移すのはたい
へんな苦労であった。それから20夜というもの、楢崎が一巻の80個の渦巻
をすべて写し終えるまで平十字は通って来たというのである。以上がカタカム
ナ文献、正確には『カタカムナノウタヒ』とよばれる謎の出現過程として今日よ
く知られているところのストーリーである。そして楢崎は血のにじむような努力
の末、ノートに写し取った図象を解読していった。その結果、超古代の日本の
地に棲み高度な文明を築いた人類が、自分たちの把握した宇宙観あるいは
サトリ(哲理)を歌の形にした科学書であり、そこに日本語および日本文化の
原型ともいうべきものがあったことが明らかになったのだという。そして楢崎
はこの太古の根本人種を「カタカムナ人」とよんだ。このカタカムナ人の高度
な科学の概要は、楢崎皐月の後継者宇野多美恵氏が主催する相似象学会
の機関誌『相似象』(現在9号まで発行されている)に発表されている。その
中から、「イヤシロチ・ケカレチ」などの言葉で表わされる未知の微妙な環境
条件、通常の条件下における原子転換、生命の自然発生など、われわれに
とっても比較的わかりやすい一部分をつまんでみても、現行の自然科学の体
系とはおよそ相容れない内容を持っているようにみえる。ところでこのような
類の現象の可能性については、公認の科学では当然のことながら厳しく否定
されている一方、幾人かの孤立した"異端"科学者によって唱えられ、あるい
はある種の秘密結社や秘教団体によって継承されてきた錬金術やさまざま
な秘密的な原理と微妙に重なりあう。そしてこのような科学は、「オカルト・サ
イエンス」とよばれているものと、ほぼ一致するのである。
第4項
超感覚的知覚を超える〈カタカムナノサトリ〉
このような一般的な考察に加えて、楢崎によるならば、カタカムナ人は、われ
われにおいてはすでに退化している高度の直感力をもっていた。これによっ
てカタカムナ人は現象背後の"潜象"の作用を共振的に知覚し、それが彼ら
を「カタカムナノサトリ」とよばれる、われわれの知らない自然認識へと導い
た。楢崎はさらに「アメノミナカヌシ」や「クニトコタチ」をはじめ、もろもろの神
名、また「サヌキ」「アワ」などの国名は、実は神名や国名などではなくて、カタ
カムナ人の「物理」の用語から出た名称であるという。また日本語のカタカナ
文字も、実はカタカムナ図象が退化し固定化されたものであるというのだ。と
ころで直感とか潜象といった概念は、カタカムナをある意味で非常に難解なも
のにしている。まず以上のような表現によって、カタカムナ人は霊感のような
ものが発達していて、それによって超科学的な認識へと到達したという印象を
誤解して受け入れる人もいるだろう。もっとも、カタカムナ人がそのような超感
覚をもっていたという想定自体は誤りではない。だがいくら五感を超えた超感
覚があっても、それ自体では高度な認識は絶対に獲得しえない。このことは、
いわゆる超能力者とよばれる人々をすれば充分に明らかなことである。彼ら
の大部分はペテン師であるが、残りは確かにれわれにはない超常的な能力
をもっているようである。だが、彼らに共通して見受けられることは、彼らのカ
タル内容には恣意的な解釈と自己顕示欲がどうしようもないほど入り混じっ
ている。楢崎はこのような誤解を避けるため、〈直感知性〉という言葉を使って
いるこれはカタカムナ人が、超感覚的知覚に加えて高度の抽象的思惟力をも
っていることを意味する。要するに、カタカムナ人においては、後代の人間と
は知覚、思惟、意識の回路そのものがまったく異なっていた、と考えてもらっ
てさしつかえない。楢崎はカタカムナ理解への入り口のひとつとして、「相似
象」という言葉を用意している。現代人においては、カタカムナ人のような超
感覚によって直接に現象の背後にある潜象と共振する回路は切断されてい
る。だが、そのようなわれわれでも、現象として現われてくる相似性のうちに、
その背後の世界の影をほのかに捉えることは可能である。
第5項
宇宙は相似象・共通のパターンでできていた
楢崎皐月およびその後継者である宇野多美恵は、「カタカムナ文献」を解読し
たのち、カタカムナ文化を学ぶ「学会」を作り、『相似象』という名前の会誌に
研究成果を発表している。なお、『相似象』はこれまでに第1号から第10号ま
でが刊行されている。まず、「相似象」というのは次の二つの意味がある。一
つは「互いに似通ってくる性質がある」という意味である。たとえば、朱に交わ
れば赤くなるとか、夫婦の顔がだんだん似てくる、などのように、環境に似通
わせる性質があるという意味である。もう一つは、「いろいろな現象のパター
ンが共通である」という意味である。たとえば、原子核の回転構造が、太陽の
周りを惑星が回転する太陽系の回転構造に類似しているなどの例が挙げら
れる。カタカムナ人の天然に対する直観は、カムの無限世界および、宇宙球
の巨大なものから、目に見えないアマ始元量の最小素粒子までを観て、そこ
には共通のパターンすなわち相似象があることを見抜いた。それを記してあ
るのが「カタカムナ文献」である。楢崎皐月や宇野多美恵は、カタカムナ人の
偉大さは、「天然に相似の象がある」ことを見抜いたことだとして、「カタカムナ
文献」を勉強する会の名称に「相似象」という名前を用いた。「相似象」とは、
天然宇宙のサトリということになる。
目次へ
第6項
天然は八種類の相似象から成っている
カタカムナ人が見抜いた基本的な相似象は、天然には「球」の相似象がある
ということだった。天然の大きなものは宇宙球から、恒星、惑星がすべて球で
あるし、ミクロなものでは原子、原子核、電子が球型である。水も丸くなる性
質がある。カタカムナ人は、このもとは天然のすべてのモノの素粒子であるア
マ始元量の微分量である「マリ」が球状であることにある、と観じていた。カタ
カムナ人は、アマ始元量の微分されたものを〈アメ〉といっている。〈アマ〉は始
元量全体の名称で、この素量は(アマから出た芽〈メ〉という思念)で〈アメ〉と
呼んでいる。また、〈アメ〉の個々の球状のものを〈マリ〉と呼んでいる。カタカ
ムナ人が、天然の相似象だけでなく、その他さまざまな相似象があるが、カタ
カムナ人はそれらすべて、アマ始元量の性質の表れたものであると直観して
いた。どんな相似象を見抜いていたかというと、およそ次の八種類だという。
●正反対称性とひずみ性
天然自然に存在するものには、すべて正と反(陰と陽)が存在している。究極
の正反は「カム」と「アマ」の関係である。次の正反は、アマ始元量の究極粒
子であるマリの正反である。マリの正反は、マリの回転方向の違い、すなわ
ち右回りか左回りかによって生じている。なお、すべて正と反が対照的に存
在しているが、まったくの対称ではなく、ややひずみをもった対称であるところ
に特徴がある。これを正反対称性とひずみ性といっている。究極粒子マリは、
完全な求形ではなく、ややひずみがある。そのために回転運動が生じ、さま
ざまな性質や変化が現われるのである。ヤサカノマガタマは究極粒子「マリ」
を表象しているが、完全な球ではなく、マガタマであることがひずみ性を表し
ている。マリの正反対称性の相似象として、現象界に存在するものはすべて
正と反が存在しているのである。たとえば、男と女、昼と夜、右と左、縦と横、
過去と未来、暑いと寒いなどである。
●旋転、巡回、ら旋の回転性
アマ始元量は、究極粒子マリが回転運動し、しかもら旋的な回転をしている。
この性質が、相似象でさまざまな現象として現われている。ミクロなもので
は、原子の中で、原子核、電子が自転し、電子は原子核の周りを回転してい
る。大きなものでは、太陽、地球、月は自転し、地球や火星などの惑星は太
陽の周りを公転している。太陽系全体も上位の太陽の周りを公転している。
さらに大きくは銀河系や星雲なども渦回転している。宇宙球においても、宇宙
球全体が旋転している。
●対向発生
正と反が対向すると新しいものが発生するという性質がある。究極はカムナ
とアマナの対向発生である。カムナとアマナが対向すると、さまざまのものが
発生する。すなわち宇宙においては、カムナとアマナの対向により物質や生
命体やさまざまな星が生成する。その相似象として、雌雄が交わるとこどもが
生れるという現象がある。インスピレーションも、人間の内部のアマナと宇宙
のカムナとの対向発生の結果である。
●同種反発、異種親和
究極粒子のマリにも正と反があるが、このマリには同種のものは反発し、異
種のものは親和するという性質がある。この性質は相似象として現象世界に
現われている。たとえば、磁石の同極同士は反発するが、異極同士はくっつ
くとか、人間も男女の異性間は親和するなどの現象である。
●統計的存在性
これは、マクロに見ると一定の固定したもののように見えるが、ミクロには絶
え物質の出入りや発生と消滅が起こっており、統計的に一定なものであると
いう性質。宇宙球は、一定の形をもった有限のものであるが、絶えずアマ始
元量が流入流出している回転流動体の統計的存在である。この相似象は、
人間や素粒子に見られる。すなわち、人間は、ミクロには絶えず細胞の新陳
代謝が起こって肉体は入れ替わっている統計的な存在である。また、電子な
どの素粒子も固定された一定のものではなく、これを構成するさらに超ミクロ
の素粒子が絶えず流入し流出している統計的存在であると推定されている。
●重合互換性
重合性というのは、異なるものが重なり合って共存するという性質である。ア
マ始元量には、左旋性と右旋性、膨張性と収縮性、粒子性と波動性などの相
反する性質が同時に存在する。また、物質にアマナという潜象界のヌシが潜
在するなどの例である。互換性というのはアマ始元量のマリがトキやトコロに
互換したり、イカツミ(電気)、マクミ(磁気)、カラミ(力)などに変換したりする
性質である。アマ始元量が現象世界の物質に変化することも互換性による。
●微分、統合性の周期性
アマ始元量には、分化して小さくなる性質とまとまって統合し大きくなる性質、
すなわち波動性や粒子性、膨張性や収縮性という相反する性質が同時に存
在する。この他に、それぞれには抗膨張性や抗収縮性という、それらに逆ら
おうとする性質も存在する。これらを「正反四相」という。現象界における相似
象としては、光が粒子としての性質と波動としての性質の二面性をもつなど
の現象が挙げられる。
●極限循環性
アマ始元量は、宇宙球に流入したのち、きわめて長い時間かかって流出する
循環サイクルをしている。この間、アマ始元量はさまざまに返遷する。たとえ
ばアマ始元量でできるさまざまな物質や生命体は、生成(発生)・成長・極限
(飽和)・崩壊(死)というように、誕生してから飽和の極限まで成長発展した
のち、崩壊して元の状態に還元するという、短期の循環サイクルをたどる。宇
宙におけるこれらの長期や短期の循環サイクルは、永遠につづくが、これら
はすべてアマ始元量の極限循環性によるのである。上古代のカタカムナ人
は、現象世界における万物万象の特徴はすべて、アマ始元量のさまざまな
性質が相似象で現われたものと捉えていたのである。凄い直観力といえる。
第7項
天然宇宙の物理(コトワリ)を表す「ヒフミ」の歌
第五首の歌
ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ
解読の方法
ヤタノカカミ図象の横線を地平線とすれば、縦線は中央に人が立って見てい
ることになる。ヒガシの日の出るところを〈ヒ〉とし、そこから順に〈フ〉〈ミ〉〈ヨ〉
〈イ〉と〈マ〉〈ワ〉〈リ〉ながら〈メ〉〈ク〉〈ル〉ことにより、〈ム〉〈ナ〉〈ヤ〉〈コ〉〈ト〉と
文字をつくった。それと同時に〈ヒフミヨイ〉の図象の半球は「正」を、〈ムナヤ
コト〉の図象の半球は「反」を意味し、宇宙のすべてのものは、天体から極微
の世界まで正と反の旋転(自転)と循環(公転)の動きによる球の性(マリの
性)によって抽象されることを表している。なお、ヒフミヨイムナヤコトは、潜象
から現象の発現する物理を示し、それが、おのずから、一から十までの数を
表している。〈◎ヒ 〈ヒ〉は、ヒトツという数の最初の思念を示すとともに、あら
ゆる現象の存在とその根源に潜在するチカラに関係した思念があることを示
している。要するに〈ヒ〉は太陽(アサヒ)の陽をさすヒビキであり、数をヒフミと
数えるときの最初のヒであり、すべてのものの「根源、根元、始源」を表す思
念である。〈◎フ 〈フ〉は、ヒ、フ、ミ、のフ(フタツ)であり、ものが増えるとか太
るの意味もある。ここでは「あらゆる現象の根源のフタツのもの」という思念で
ある。ここでいうフタツは、ヤタノカカミのカミとカタカムナのカミの「フタツのチ
カラ」を意味する。〈◎ミ (究極粒子一個)〉の三個集合した程度のマリ(極微
の粒子状の素量)を表し、アマ始元量の実質の意味である。
第8項
「マリ」から五種類の「素量」ができる
五種類の「素量」というのは、次の五つである。
「イカツミ」……電気素量
「マクミ」………磁気素量
「カラミ」………力の素量
「トキ」…………時の素量
「トコロ」………空間の素量
これらの五種類の素量は、究極粒子「マリ」の複合粒子である。これらはいず
れも雌雄 (正と反) の配偶構造をもつ。
●「時間」も「空間」も「トキ」と「トコロ」のマリからできている。 この「トキ」と「トコロ」のマリは、相対的で互換性がある。また、「イカツミ」「マ
クミ」「からみ」にも互換することができる。
●「イカツミ」「マクミ」「カラミ」の三個の素量でできたものを「ミツゴ」という。
物質や生命体は、「モコロ」という素粒子からできている。「モコロ」は「ミツゴ」
か ら構成されている。
第9項
●「モコロ」には「生命質系モコロ」と「物質系モコロ」がある。
「物質系モコロ」は一 個の「ミツゴ」から成り、「生命質系モコロ」は八個の「ミ
ツゴ」から成る。
●物質や生命体は、ともに「生命質系モロコ」と「物質系モコロ」からできてい
る。
生命体は「生命質系モコロ」が多く、物質は「物質系モコロ」が多い。
コメント
カタカムナ文献が難解なのは楢崎皐月氏が得ることができた情報は直感知
覚によるものであるので、言葉なり、理論で説明することが、出来ないという
ことである。解読をするには、楢崎皐月氏と同じぐらいの感性のレベルに到
達することが第一だと思われる。しかし、我々のレベルではとても到達地点に
はほど遠いが、実際に遺跡なり、古墳等の現地に行ってみることである。そし